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幸せとは
私は学生時代2ヶ月ほど東南アジアを1人旅しました。
その旅ではカンボジアにもいき、地雷で足をなくした子供たちのためにボランティアで開いている小学校を見学しました。
足がない子供達は、勉強ができて最高に幸せそうでした。
東京では10人に1人くらいしか笑ってないけど、カンボジアのその障害者の学校では10人中9人が笑っていました。
彼らの姿勢から多くのことを学びました。
バナナの皮がうまく剥けなくて私に頼んできた子は私がバナナの皮を剥いてあげたら、気持ちを全身で表し私にハグをしてくれました。
多くの人が五体満足で生まれてきたのに、常に文句を言い、人に対して感謝の気持ちを忘れがちな私たち!
彼らと触れ合ったことで、いつも健常者と接している私は自分の目線の高さが「そこ」に置いていることに気づかされました。
自分の目線を「そこ」から外し、様々な目線で考えたり、幸せを感じるべきだと強く思いました。
数ヶ月後日本に戻ってみると、電車の中では死んだ目をした人たちばかりで、不幸だと思っていたカンボジアの子供達の方が、明らかに幸せそうに見えました。
決して「物質的幸せ」が「本当の幸せではない」ことが学生ながらよくわかりました。
常識という非常識の世界
私たちは勝手に土地を区切って、それを自分とか国のものとしたり、同じ地球をパスポートを持って移動したり、
ただの紙切れのために働いて、それでなぜか土地の所有者にその紙切れを渡したり、土地の所有者になってみたり、生まれた時から私たちは資本主義という常識という非常識の世界に生きています。
今この世界をなんの疑いもなく生きています。
だからこそ、
私たちはこの非常識の世界に埋もれないようにしないといけません。
ただの紙切れのために働くのではなく、皆さんも私も自分や家族の人生の幸せのために生きるべきなのです。
人生を有意義に過ごすためにも人生が終盤にきて「なんであの時行動しなかったんだろう」と後悔しないためにも
自分の心に素直に生きましょう♪
私はこの「常識という非常識の世界」という言葉は留学時代の友人が言っていた言葉で、とても大切にしています。
今の常識は10年後には非常識になっているかもしれないし、その常識に埋もれないようにしないととハッと気づかされることがあります。
それではまた!!
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